タウンマネジメント・プログラムによる小規模連鎖型再開発(高松丸亀町BC街区:2005-2010年)
A街区の工事が進む中、隣接するBC街区では共同建て替えの機運が高まっていた。街区の一体的な建て替えは、それが必要でふさわしい拠点で行い、ほかは2〜3棟で共同建て替えし町並みをつくっていく[#7.町並み型]がもともとの方針。こうしてタウンマネジメント・プログラムによる「小規模連鎖型再開発」に着手。そして、まずBC街区で商店街にインフィルされる形で、大小5棟のビルが完成した。
*以下、文中の[# ]は、高松デザインコードの関連パタンを示します。高松デザインコードは本ホームページのアーカイブスにあります。
■小規模連鎖型再開発の必然性
小規模連鎖型再開発の必然性そして方向性は下の図によって説明できる。図は、丸亀町の典型的な街区を示している。奥行30m、間口60mのブロックが道を挟んで両側町を構成している。城下町など日本の歴史的な都市には共通するパタンだ。奥側に便所道と呼ばれる路地が貫通しているのが高松城下町の特徴だ。
戦前までは、ここに町家が並んでいた。一戸一戸の敷地は間口数m、奥行き30mの鰻の寝床。通りに面して主屋があり、中庭を挟んで離れや土蔵があったはずだ。中庭はほぼ同じ位置にあってゾーンをなし、密集した市街地の中で、住戸に日当たりや通風を保障し、緑を提供する重要な役割を負っていた。
高松は第二次世界大戦で空襲に遭い、町家は焼けてしまった。戦後、人々は、まず木造2階建ての併用店舗を建てて再興していった。商店街として抜群の集客を誇った丸亀町商店街では、それらの多くは、昭和30年代から40年代の高度成長期に、三~数階建てのビルに建て替えられていった。真ん中の図がそれを示している。ただし地割は変わっていないので、建てられたのはいわゆるせんべいビルである。このようなビルは、1フロアの面積が狭く、エスカレータはもちろんエレベータの設置は難しく、上層階へは細い階段をのぼるしかない。従って、店舗として利用できるのはせいぜい2階まで。高くしてもほかの階は倉庫になってしまう。建物の最上階には、店主のすまいが設けられたが、階段をのぼる不便さ、生活用品の店舗の減少などから、ほとんどが郊外へ住居を移してしまった。再開発事業を行った■年の調査では、商店街で生活していたのはわずか5家族であった。加えて、ほとんどが1981年(昭和56年)の新耐震基準以前の建築で、建て替えが必須となりつつあった。
しかし、個別に建て替えても、構造は安全にできるかもしれないが、ビルとしては以前と同じ間口では有効に使える建物にはならない。そのまま建て替えても未来はないということになれば、上層階が適切に使える規模にまとまって建て替えるしかない。
以上を絵解きすると、次のようになる。
「個別建て替えに展望なし」「新耐震基準を満たしていない」「共同でビルを建てる方が合理的」「しかし共同化は不安」。A街区の再開発スキームは、このような不安に答えるべく組み立てられたものだ。すなわち、①土地の権利はいじらない、②共同化で利益のあがる建物にする、もちろん安全な構造にする、③共同化することで公的資金を導入、床価格(家賃)を下げてテナントが出店しやすいようにしビル経営のリスクを減らす、④共同化でうまれた余裕で溜り場のような公共空間を豊かにする、⑤住宅を設け地権者が住めるようにすることはもちろん、新しい住民を増やす、⑥みんなでつくったまちづくり会社が運営し収益を還元する、などがその主な内容であった。小規模連鎖型でも基本は同じである。ただ、建物が①小規模になり、②合意の取れたところから建て替えるので、マネジメントのシステムが重要になる。
■タウンマネジメント・プログラム
そのための「タウンマネジメント・プログラム」は、2005年度いっぱいをかけてまとめられた(2005年度戦略補助金「高松・丸亀町タウンマネジメント・プログラム構築事業」)。プログラムは、デザインコード、事業プログラム、マーチャンダイジング戦略の三本柱からなる。その後、3ポイントアプローチと整理される3本の柱だ。
デザインコードは、「まちづくりの目標」「地区計画」「丸亀町・町づくり規範(パタン)」の三つからなる。基本はA街区で先行した内容を踏襲するが、上に述べたように、城下町である高松の空間構成を継承しつつ、現代の課題へ応え建物をつくり直していくという観点から、可能な街区では2〜3階に中庭を設ける原則[#10. ポジティブな外部空間=中庭型[i]]を組み込むなど補強されている。たとえば、中庭と回廊、ブリッジ、階段(エスカレータ)、裏路地などが、街路を軸にネットワークを組み、周囲にアルコーブを備え、公共空間を拡張し豊かにしていく[#13. 外部空間のつらなり[ii]]などだ。この措置は、もっぱら表通り沿いに限られた商業床の価値を上下・前後に拡大し、床の有効利用を拡大し、事業の遂行上も不可欠である。ただし、あくまでも賑わいの中心に据えられるのはストリートである[#21. 外階段[iii]]
アーカイブス 4:【発表スライド】高松丸亀町デザインコード(20060328東京委員会)
事業プログラム、マーチャンダイジング戦略は次の表のように整理された。
[i] [#10. ポジティブな外部空間=中庭型]封筒一杯に建物を建てると通風や日当りが不十分な建物になってしまう。では封筒内のどこに建物を建て、どこをあけるか? 建物を下手くそに配置すると、使われない、陰鬱な「余りの空間」ができてしまう。丸亀町でもセットバックした建物の前は賑わいが途切れており、望ましい状態とは言えない▶建物(棟)の周り、建物(棟)と建物(棟)の間のあらゆる外部空間がポジティブになるように(積極的な意味をもつように)配置する。つまり、建物を周囲へ寄せて空間を取り囲む。通り、中庭、裏通り、その他でこの点に注意して建物(棟)の配置を行う。具体的には:表通りぞいの主要な壁面をそろえる。つまりセットバックしない、2~3階以上に中庭を設ける。中庭フロアより上階では、棟を表と裏に。
[ii] [#13. 外部空間のつらなり]丸亀町では、表通り、街区の中庭、裏路地が主要な外部空間となる。これら外部空間は閉鎖的すぎたり、逆に開放的すぎると、居心地が悪くなり、使われない▶外部空間を孤立させず、段階的に構成して適切な関係をつける。そこで各外部空間では安心できるバックとより大きな外部空間への視野を確保する。とくに、中層階に設ける中庭と表通り、あるいは裏通りと表通りにはこの関係を確保する。
[iii] [#21. 外階段]店舗その他施設が、その内部に縦方向の動線を備えてしまうと、街路から人の動きを奪ってしまう。挙げ句の果てには商店街のみならず、社会に計り知れないダメージを与えてしまう▶上層階にある各店舗、各施設、各部屋は、できるかぎり直接通りとつながる階段(エスカレータ)をもうけること。すなわち外階段を設けること。階段は通りの延長のようにデザインすること。
街区 | 1. 開発コンセプト
2. 商業コンセプト 3. コミュニティ機能 4.住宅・福祉・医療機能 |
1. 開発手法
2. 主な活用制度 3. 開発時期 |
A | 1. ドーム広場囲む北の拠点
2. トップライフスタイル 3. 文化活動支援する機能 レッツホール、カルチャーセンター、NPO支援センター等 4. 住宅機能 |
1. 一体的開発(歴史的建物を除く)
2. 市街地再開発事業 3. 2006年11月オープン |
兵庫町 | 1. ドーム広場
2. トップライフスタイル 3. なし 4.住宅機能 |
1. 一体的建て替え
2. 優良再開発または賑わい創出事業 3. 2006年度 |
B+C | 1. 美しく楽しい町並み
2. トレンド&ヘルシー 3. コミュニティレストラン 4.メディカルモール、ケアハウス、グループホーム 住宅機能 |
1. 漸進的建て替え
2. 優良再開発または賑わい創出事業 3. 2006年度から3年間 |
D | 1. 丸亀町の中心、美術館のある町
2. オーセンティック 3. ギャラリー 4.住宅機能 |
1. 漸進的建て替え
2. 優良再開発または賑わい創出事業 3. 2006年度から3年間 |
E+F | 1.美しく楽しい町並み
2. ニューカジュアル・タウン 3. ギャラリー 4. 住宅機能 |
1. ファサード整備
2. 高度化事業 3. 2006年度から3年間 |
G | 1. フードマーケットのある市民市場(高松市民のミーティング・プレイス)
2. フェスティバル・マーケット 3. 市民活動の拠点となる施設、高齢者の居住機能、健康施設など |
1. 一体的開発(一部建物を除外または保存)
2. 市街地再開発事業 3. 2006年度からIII期に分け順次実施 |
また、マネージメント体制が下図のように描き出された:左はA街区完成までの段階を整理したもの、右はそれが今後どのように展開するかを示したものである。
以上の小規模連鎖型再開発の構想は、2008年11月に香港で行われたMIPIM Asiaで特別審査員賞(Special Jury Award)を受賞した。
Takamatsu Marugamemachi Main Shopping Street Regeneration Project by the Community Based Developer(MIPIM Asia 2008出品ビデオ)
■実行
プログラムは、2006年6月の振興組合・再開発全体委員会で最終決定をみた。このプログラム自体は、丸亀町全体の将来にわたる整備を視野に入れたものであるが、当面のターゲットはBCD街区である。この三地区については、2007年5月に認定された高松市中心市街地活性化基本計画に「B街区小規模連鎖型再開発事業」などとして位置付けられた。
アーカイブス 5:【発表スライド】高松丸亀町:実践的タウンマネージメントプログラム構築事業(戦略的中心市街地商業等活性化支援事業)、2005.10.13
アーカイブス 6:【冊子】タウンマネジメント・プログラム概要版
具体化にあたって、まず実行しなければならないのが地区計画を都市計画として定めることであった。都市計画法の提案制度を活用することとして、商店街振興組合が地権者の合意を得る作業を開始した。地区計画のタイプは「街並み誘導型」となるのでセットバックが必須となる。特に角地の地権者は、ふたつの通りからセットバックが迫られるので、共同建て替えに参加しない場合は負担感が大きい。それでも斜線制限がある場合よりは有利になることを説明しながら合意形成がはかられた。こうして、2007年夏頃までにはほぼ全街区の合意をとりつけられた。しかし、具体の規制にかかわる地区整備計画をどの街区まで定めるのか、すでに都市再生特別区の制度を使って再開発を進めてきたA街区を含めるのか、G街区の市街地再開発事業を特区で進めるのか地区計画によるのかなどで、高松市との調整が続き、正式な提案は2007年暮れとなった。提案は、2008年3月28日の都市計画審議会で都市計画として決定され、関連する建築条例は2008年6月に改正された。以上の結果、AGを除く地区を地区計画の範囲とし、地区整備計画はBC街区のみに定めることに落ち着いた。丸亀町全体を一体的な地区計画の範囲へ再編成したいという振興組合等の主張は受け入れられなかった。
事業は、都市再開発法を使わない、任意の再開発事業として実施した。すなわち、第三セクターの高松市丸亀町まちづくり株式会社が、地権者から土地を借り上げ(定期借地)、資金を調達して共同ビルを建て、テナントのリーシングを行い、運営していく。資金としては、中心市街地活性化の戦略補助金、都市再生ファンド(都市再生特別措置法に基づき民間都市開発推進機構が出資した投資法人)が活用された。上層階の共同住宅については、ディベロッパーの事業協力をあおいだ。市街地再開発事業における特定業務代行と同様の役割である。法定再開発で定められた権利変換の手続きは踏まないが、その余はA街区の場合と同じである。共同事業であるから転出者はいない。
このようなスキームを組み立てた上で、参加者を募った結果、最終的に、B 街区東 2 棟(地権者 3 名)、B 街区西 1 棟(地権者 3 名)、C 街区東 1 棟(地権者 5 名)、C 街区西 1 棟(地権者 5 名)が共同建て替えを行い、ビルは2010〜2011年 にかけて完成した。
■「高感度セレクトショップと上質な日常ライフスタイル型ゾーン」
B街区の商業コンセプトは「A街区の客層を吸引しつつC街区以南へのスイッチゾーン」、C街区は「高感度セレクトショップと上質な日常ライフスタイル型ゾーン」である。地域の資源を生かし、この商店街に来なければないような新たなコンセプトの店舗を生み出すことが課題となった。リーマンショックの直後でテナントリーシングが難しい時期であり、A街区の言わば他力本願に対し、いよいよ地域の商店街としてのどのような「ビジネス」を展開するかの真価が問われる場面となった。その具体的内容が「ライフスタイルのブランド化」である。B街区では、地元の食材を活かした複数のレストランを展開し、C街区では「2階の中庭」の奥にライフスタイルショップ「まちのシューレ963」を、さらにその上に丸亀町診療所を開設した。「まちのシューレ963」については、項を改めてとりあげる。
■スーパー・アーケード
そして2011年4月、建物の更新が一段落したA~C街区に、全長100mのガラスのアーケードが完成した。新しいアーケードは、ドームと同じガラスと鉄材で、法定の地区計画で16.5mと定められた低層部の上を覆うように架けられた。従来のアーケードの2倍の高さで、街路は以前より遥かに明るいドームの下と同様に光が踊る快適な空間となった。
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再開発の進展に伴い、商店街の通行量は徐々に上向いていった。なお、上下の大きな変動は、調査当日の天候による。また最近の平日の通行量減少は、自転車の通行規制の影響である。
■参考文献・資料
*Takamatsu Marugamemachi Main Shopping Street Regeneration Project by the Community Based Developer(Booklet), 2009.1.7→アーカイブス
*『季刊まちづくり』13(0701)特集:コンパクトシティの可能性と中心市街地、2006. 12.1
この特集は、2006年6月の街づくり三法改正を受けて編まれた。このころ高松では、A街区の工事が1月の竣工をめざしてたけなわであり、計画チームと地元では、BC街区の小規模連鎖型再開発へ向けて、タウンマネジメント・プログラムの作成を行い(2005年度戦略補助金「高松・丸亀町タウンマネジメント・プログラム構築事業」、2006年6月商店街で決定)、BC街区の建物の基本的計画・設計を繰り返していた。特集では、街づくり三法改正そのものとともに、それと表裏に進む高松丸亀町の記録と二本立てになった。後者の目次と著者は以下のようである:
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高松市丸亀町商店街のタウンマネージメント(小林重敬)
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丸亀町商店街A街区再開発からタウンマネージメントへ(福川裕一)
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A街区再開発事業の特徴と意味(西郷真理子)
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丸亀町がめざす空間とデザイン(福川裕一)
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地域内資金循環の仕組み(野口秀行)
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丸亀町タウンマネージメント体制の構想(福川裕一)
*福川裕一「中心市街地再生の試み 高松市丸亀町再開発が意味すること」『季刊まちづくり』23(0906)、2009. 6. 1
*「高松丸亀町商店街 壱番街・弐番街・参番街アーケード:高松丸亀町商店街B・C街区小規模連鎖型再開発事業」、福川裕一+西郷真理子「デザインコードとライフスタイルのブランド化」、福川裕一+除光「デザインコードとアーケード」『新建築』2011.10
*福川裕一(2011)「高松丸亀町商店街地区におけるエリアマネジメント」『ジュリスト』No. 1429(特集:エリアマネジメントとまちづくりの未来)2011.9. 15