街づくり三法:合言葉はTMO(1998年)
20世紀のおしまい頃、全国の商店街のシャッター通り化がニュースになるようになった。そして、1998年、大店法(大規模小売店舗法)撤廃とひきかえに街づくり三法が制定された。合言葉はTMO。はたして本当に「街づくり」はできるのか、「街こわし」にならないのか、ほかの国の取り組みを横目で見ながら、日本の実験がはじまった。
まちづくり三法とは、1998年5月に成立した、改正都市計画法(法律第79号)、大店立地法(大規模小売店舗立地法、法律第91号)、中心市街地活性化法(中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律、法律第92号)の3つの法律である。
しかし、象徴的に重要なのは、3つの新法よりも、大店法(大規模小売店舗法)が撤廃されたことであろう。大店法は、前身の百貨店法以来、半世紀にわたってわが国の商業政策の柱となってきた。そして、日米構造協議などでやり玉にあげられ、日本の規制の象徴とみなされてきた。大店立地法はそのどこを変えたのか。次の通産省審議官の発言がわかりやすい:
大きく三点が変わる。大型店出店に伴う審査内容を需給調整から周辺住環境への影響に、審査主体を国から自治体に、法の主目的を中小小売りの保護から消費者利益に、それぞれ転換する。政策の見直しの過程で重点を置いたのは“まちづくりの視点”だ[i]。
具体的には、大店法が、商工会議所に設けられる商調協を舞台に、大型店の店舗面積・閉店時間・休業日数などを調整していたのに対し、大店立地法では、都道府県が、交通渋滞・騒音・廃棄物処理など環境に関する項目について改善勧告を大型店へ出す。大型店が従わない場合、そのことが公表されるが、罰則はない。それでも、流通業界は、「環境保護を名目に出店規制が強化される」「自治体の裁量が広がると出店規制強化になる」と批判している。
改正都市計画法では、地域地区のうち、特別用途地区の内容を自治体が自由に設定できることになった。改正以前は、特別用途地区は、中高層階住居専用地区、商業専用地区、その他が、法令および政令で決められていた。今後は自治体独自の工夫により、たとえば、「中小小売店舗地区」「特別住居地区」などを決めることが可能になる。ただし、特別用途地区はあくまでも用途地域を補完するものであって、その趣旨と異なる規制を決めることはできない。
中心市街地活性化法は、12省庁が協力し、中心市街地で総額一兆円にのぼる事業をおこし、そこへ補助金等の支援を注ぎこもうという制度である。法律の正式名称に見るように、「市街地の整備改善」(建設省系)と「商業等の活性化」(通産省系)を一体的に推進することが建前となっている。まず市町村が「基本計画」を定める。それを前提に各省庁の支援措置が得られる。支援のうち「商業等の活性化」は、通産省による補助制度(中小小売商業高度化事業)が組み立てられている。中心市街地全体を総合的に管理するタウンマネージメント機関(TMO、認定構想推進事業者)の存在を前提に、従来よりも手厚い支援をしようというものだった。
TMOは和製英語である。海外のモデルとしては、アメリカのBID(またはDID)、イギリスのタウンセンターマネジメントが参照された。BIDはBusiness Improvement Districtの略(DIDはDowntown Improvement District)。地方政府(市町村)が、一定のエリアに課税し、エリアマネジメント組織を構成し、その費用をもってエリアメネジメントを実施する仕組みだ。ダウンタウン再生に多くの成果をあげてきたアメリカ・ナショナルトラストのメインストリート・プログラムの主要な手段のひとつでもある。イギリスのタウンセンターマネジメントは、やはり地方政府などが専門職としてのタウンセンター・マネージャを雇い、タウンセンターの構成員で組織するステアリンググループの事務局としてマネジメントを実行する。マネージャの役割は、一定の目標に向かって事業と分担を「戦略ビジネスプラン」として決め、実行していくことだ。
中心市街地活性化法が7月に施行され、国の「中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する基本的な方針」(基本計画を作成する市町村や特定事業を行うものに対する指針)が公表されると、各自治体でぞくぞくと基本計画が作成された。そしてTMOが設立され、「TMO構想(中小小売商業高度化事業構想)」が描かれた。しかし、制度の想定通り「TMO計画(中小小売商業高度化事業計画)」を経て事業実施へ至るものはわずかであった。
この間の経過について、石原武政『口辞苑』の解説は下記のように辛辣である:
鳴り物入りで導入された制度ではあるが、かんばしい成果を上げたとは言えない。第三セクターアレルギーのある自治体ではもともと会社をつくる意思が弱い上に、先行してつくったところが収支を合わせるのに四苦八苦している状況を見ると、余計に慎重になる傾向があった。そうなると、商工会議所に期待がかかるが、会議所も予算的裏付けがないまま仕事が押し付けられるという感覚になるところが出てくる。こうして、及び腰の態勢で、中心市街地活性化に取り組んでいるというアリバイづくりのためになりふり構わず格好つけでTMOをたちあげたのかと疑いたくなる事例が結構な数に上るようになる。「仏をつくって魂を入れず」という言葉はあるが、仏心の何たるかを理解しようとしないまま形だけの仏をつくった結果、組織そのものがお釈迦になったというのではまったく洒落にもならない。
モデルになった諸外国では、長く社会のシステムとして働いているのに対し「つけ刃」であることは否定できない結果となった。しかし、エリアをマネジメントする発想自体はまちがっていない。事実、地域の主体性がしっかりしているところでは、変化していく制度を適切に活用しながら、持続的にまちづくりを進めていったのである。
街づくり三法全体の結果も芳しくとはいえなかった。再び『口辞苑』:
「綺麗な花には棘がある」ではないが、法律も時に名が体を表さないことがある。当初、改正都市計画法は特別用途地区の自由化だけというお茶の濁し方で、大規模小売店舗立地法は敷地の中だけに幽閉され、中心市街地活性化法もTMOを実際に動かす仕組みを持たないままに導入されたのであり、この三法でまちづくりなどできるはずがない。これはむしろ「まち破壊三法」だと酷評する人もいた。2000年には都市計画法はさらに改正されたが、2005年にはさらに大幅な見直しが行われ、翌2006年にから改正まちづくり三法体制に移行している。何を期待し、どのようなシナリオを描くかは別として、この三つの法律を頼りにしながら、まちを破壊することなくつくっていかなければならないが、道は確かに険しいことには違いない。
高松市もさっそく中心市街地活性化基本計画を立案、続いて商工会議所がTMO構想を定め、市からTMOに認定された。翌年1月には、TMOと共同で事業を行う特定会社・高松丸亀町街づくり会社が振興組合と高松市などの出資で設立された[ii]。この会社は、再開発ビルの床を買い取り運営する会社として当初より想定されていたものであるが、新しい制度の位置づけのもとで設立するに至った。ただし、床を買い取るのは街区ごとに設立された共同出資会社とし、この会社はマネジメントにまわることとなった。
■参考文献・資料
*福川裕一(2005):「なぜ中心市街地か、どのように活性化するか」『中心市街地活性化とまちづくり会社(街づくり教科書第9巻)』日本建築学会編、丸善、2005.9
*福川裕一(2003)「中心市街地の再生:なぜ都市に中心が必要なのか」『ヴィジュアル版建築入門』彰国社,2003. 4
*福川裕一(2000)「中心市街地活性化:何が隘路か?」『造景』no 30,特集「中心市街地活性化の戦略」2000. 12
*タウンマネージメント推進協議会(2000)『タウンマネージメント・ガイドブックPart II:タウンマネージメント手法 活用の手引き』2000.9
*福川裕一(1999)「活性化法1年目の政策実態の到達点と課題・展望」『地域開発』420,1999. 9
*福川裕一(1999)「中心市街地における商業とまちづくり:都市計画の視点から」『TOYONAKA ビジョン』22,vol. 2,豊中市政研究所,1999. 3
*タウンマネージメント推進協議会(1999)『タウンマネージメント・ガイドブック:タウンマネージメント手法 活用の手引き』1999.3
*福川裕一(1998)「タウンマネージメント機関による中心市街地活性化の成立条件」『流通とシステム』97号,1998. 10
[i] 通産省商務流通審議官岩田満泰氏、日経流通新聞、98.06.16
[ii] 資本金17百万円、株主:中小企業団体64.7%、高松市24.9%、中小企業者5.9%。事業の展開応じて関係者が出資し増資していく予定である。