街づくり会社制度(1989年)


□ 口辞苑から

□ コミュニティ・マートセンターにおける街づくり会社調査

□ 90年代の流通ピジョンと街づくり会社制度

□ 街づくり会社制度の商業流通政策における位置


クリエイティブタウン実現の主要な柱のひとつとなる「まちづくり会社」。川越一番街で発想され、長浜では実践されていたわけだが、国の制度として登場したのは1989年。中小企業事業団法を改正し、高度化融資制度として地域商業集積促進事業を設けたのが最初である。

商店街再開発手法としての「街づくり会社」

■口辞苑から

 川越では「町づくり会社」と表記していたが、制度では「街づくり会社」となった。わが国の商業流通政策の分岐点に登場した制度であり、クリエイティブタウン実現の主要な柱のひとつである「まちづくり会社」を考える上でも重要であるので、やや詳しく見ておこう。手始めに、石原武政『商業・まちづくり:口辞苑』で「まちづくり会社」を引いてみる。

地域商業集積促進事業として平成元年度に制度化され、平成2年3月、新潟県中里村で第一号の街づくり会社(パートIII)が立ち上げられた。地元の中小小売商と自治体が共同出資しして公益法人又は会社をつくり、それに対して中小企業高度化融資を行い、地域商業の再生を図ろうとした。後のタウンマネージメント機関(TMO)の原型とも言える。

この辞典は、ひとつの用語に建前と本音のふたつの説明がある。商業・まちづくりを学ぶためには必須の文献だ。ぜひお勧めしたい。さて、まちづくり会社についての、もうひとつの説明は以下のようである:

もともとの発想は、埼玉県川越市の川越一番街商店街での実験にはじまるとされる。空き店舗になっても、家主が店舗を賃貸しようとしない。その理由を問いただすと、当時の借地借家法の下では「貸してしまえば盗られたも同然」というほど、賃借人の権利が保護されていた事に由来することがわかった。要するに、民民の契約に対する不安が強く存在したわけで、行政や商工会議所のような公的機関が中に介在すれば賃貸に応じてもいいという家主は結構あったという。そこから不動産の運用を図りながら町を動かすというアイデアが生まれ、それが国の政策に取り込まれた。ちょうど規制緩和の時期で、地域商業に注目が集まったことも幸いした。

■コミュニティ・マートセンターにおける街づくり会社調査

 川越で町づくり会社が発想された経緯は「▶川越一番街・町づくり規範と町並み委員会(1987年)」の項をご覧いただきたい。実際には、川越では発想までで実験には至らなかったのだが、コミュニティマート構想事業を実現する手法を検討する中で、川越で発想された街づくり会社想が着目され、重要な役割をはたしたことは間違いない。検討は、日本商工会議所内に1985年3月に設けられた「社団法人コミュティ・マートセンター」で実施した「コミュティ・マート構想事業調査研究:商店街再開発手法に関する調査研究」(中小企業庁受託事業、1988〜1991年度)を舞台に、街づくり会社の組織、機能、運営等についての調査研究が行われた。次の図は、この時描かれた街づくり会社の役割と成立の構造である。また、4年にわたる調査研究の最終年度は、高松丸亀町再開発のケーススタディであった。

商店街再開発手法としての「街づくり会社」表紙
街づくり会社の役割と成立の構造

想定される体制

アーカイブス 2:商店街再開発手法としての「街づくり会社」

■90年代の流通ビジョンと街づくり会社制度

 いっぽう、1989年6月に、産業構造審議会流通部会・中小企業政策審議会流通小売委員会は、「90年代における流通の基本方向について:90年代の流通ビジョン」をまとめ、90年代に向けた流通政策9つの課題のひとつとして、③商店街の活性化と「街づくり会社構想」を掲げた。

 同ビジョンは、従来の大規模小売店舗法による出店規制の流れを緩和する方向を模索する中で作成され、商店街政策の分水嶺と位置付けられる。そのような状況下、衰退しつつある従来の中心市街地の再生を図る事業主体として「街づくり会社」構想が描かれたのであった。

 ここでの「街づくり会社」構想は、 中小小売業者及び市等の地方公共団体がともに参加する第三セクター(株式会社又は公益法人)が、 中小小売商業振興法の認定を受けた計画に基づいて、 商店街あるいは新しい商業集積地にコミュニティ施設もしくはコミュ ニティ施設を併せ持つ共同店舗を整備する事業を推進していこうというものである。コミュニティ施設としては、従来のアーケード、カラー舗装、駐車場に止まらず、多目的ホール、こどもの遊び場、その町の博物館などの教養文化施設、プール、スポーツジムなどの健康増進施設なども想定された。

 制度は、中小企業事業団の高度化事業として発足・展開した。制度の概要は次のようであった(通商産業政策史編纂委員会編(2013)による)。:

事業主体:

①公益法人の場合:地方公共団体及び商店街組合(事業協同組合、商店街振興組合等)が出資または拠出していること/商店街組合が出資総額の1/2以上を出資していること、なお中小小売業者または中小サービス業者の出資については、商店街の出資する金額に含めることができる

②株式会社の場合:地方公共団体が出資していること/出資者の2/3以上が中小企業者であること/大企業が最大株主でないこと/1大企業の出資額が出資総額の1/3未満であること/大企業の出資額の合計額が出資総額(事業団または地方公共団体が出資を行う婆にあっては、これらの出資額を控除した後の金額)の1/2未満であること

街づくり会社の種類:

①街づくり会社パートⅠ:第三セクターである公益法人が、商店街にコミュニティ施設を整備する事業(高度化融資上の制度名称は「商店街活性化施設整備事業」)/商店街組合が作成した商店街整備計画(中小小売商業振興法第4条第1項の認定を受けたもの)に基づき、当該事業を実施していく公益法人が、商店街等経営合理化支援計画(事業実施計画)を作成する/助成:高度化融資のほかに中小企業庁のコミュニティ施設整備事業費補助金/実施例:山口県阿知須町「阿知須まちづくり財団」

②街づくり会社パートⅡ:第三セクターである株式会社が、商店街にコミュニティ施設を整備する事業(高度化融資上の制度名称は「商店街活性化施設整備事業」)/パートⅠと同じだが、事業実施計画を作成するのは当該事業を実施していく会社/助成:高度化融資のほかに中小企業事業団からの出資がある/実施例:富山県(株)上市まちづくり公社

③街づくり会社パートⅢ:第三セクターである株式会社が、既存商店街の商業集積の再整備や新たな商業集積づくりなど地域にとって望ましい環境を整備するために、コミュニティ施設と併せてショッピングセンター型の商業店舗(賃貸型商業店舗)を整備する事業(高度化融資上の制度名称は「地域商業集積整備促進事業」/事業実施主体である会社が作成する商業集積整備促進計画に基づき、同会社が商店街等経営合理化支援計画(事業実施計画)を作成する/助成:高度化融資のほかに中小企業事業団からの出資がある/実施例:新潟県中里村「中里村地域開発(株)」

 コミュニティ・マートセンターで議論していた街づくり会社に近いのは、口辞苑にもあったパートⅢである。複雑になったのは、中小小売商業振興法に第三セクターが実施主体となって中小企業者の入居する点を整備する事業がなく、パートⅢが同法の枠外になったためである。1991年の小振法改正で、第三セクターが計画作成や事業実施の主体となることができる「商店街整備等支援計画」を追加したことで、街づくり会社の種類はひとつに統合された。

■街づくり会社制度の商業流通政策における位置

 以上のように、高度化事業の「街づくり会社」は、コミュニティ・マートセンターでの調査研究で想定されていたものより限定的な内容であり、主に商業施設建設のために使われ、実際にもたとえば川越や長浜のようなエリアに展開するケースでは使われなかった。しかし、従来の商店街支援政策を超えるという点では、画期的であり、現実にも、その後の中心市街地活性化制度の中で展開していった。高松丸亀町商店街再開発で要となる街づくり会社もこの制度がなければ、発想されなかったかもしれないのである。

 このような街づくり会社制度の意義について、当時の担当者であった松島茂氏は、次のように述べている(松島茂(2005))。おそらくもっとも重要なのは第三で、公的支援の対象が、組合から会社に拡大したことである(この段階では第三セクターという制約があったが、今は取り払われている)。これによって、意欲のある人々が活躍する余地が生まれたことである。

この構想の狙いとするところは、第一に商店街を含む中心市街地の再生に市町村の積極的な参加を期待することであった。商店街の衰退は、都市の構造問題に起因するところが大きい。単に商業者を構成員とする組合だけの問題ではなく、その都市全体の観点から「まちづくりをどのようにすすめるか」という文脈で考えていかなければならない。それまでは国と都道府県が助成策を用意して、商業者が事業計画を立ててそれを実施するという図式であった。これに基礎的な行政単位である市町村にも積極的に関わってもらうためのきっかけとしての意味がある。

第二は、商店街振興組合の行っていた従来型の環境整備事業の枠を取り払って、柔軟に都市の機能を担いうる施設・設備を整備していこうという点である。その都市の再構築のためにどのような施設·設備が必要であるかは一概には言えない。それぞれの都市の歴史や状況によって異なるはずである。どのようなアイデアがでるかは、その都市のまちづくりの担い手たちの構想力次第ということでよい。第三は、このような意思決定を柔軟に行っていくためには、組合制度以外の組織制度を活用する道を拓いておいたほうがよいということである。特に、株式会社制度は幅広くまちづくりにコミットする参加者を有限責任の出資者として募ることができる。また、 組織としての意思決定についても組合制度より柔軟な制度設計が可能である。まちづくりの主体形成の枠組みとしてこのような組合制度以外の方法がありうることを示すことも「街づくり会社」構想の一つの狙いであった。

■参考文献

*コミュニティ・マート構想事業調査研究委員会編(1991)『商店街再開発手法としての「街づくり会社」』、社団法人コミュニティ・マートセンター、1991.9

*通商産業省商政課編(1989)『90年代の流通ビジョン』、財団法人通商産業調査会、1989.

*松島茂(2005):「中小小売商業政策・中心市街地政策をどう読むか」『中心市街地活性化とまちづくり会社(街づくり教科書第9巻)』(日本建築学会編、丸善、2005.9)

*商産業政策史編纂委員会編(2013)『通商産業政策史12 中小企業政策1980-2000』、独立行政法人経済産業研究所、2013