川越一番街・町づくり規範と町並み委員会(1987年)


□ デザインコード調査

□ 川越蔵の会

□ 町づくり規範と町並み委員会


蔵造りの町並みで知られる川越市一番街。土日だけでなく毎日たくさんの観光客で賑わっている。すっかり整った町並みだが、ここでは住民による町並み委員会が町並みのマネジメントを行ってきた。設立は1987年、そろそろ30年になる。

川越一番街町並み委員会
■デザインコード調査

川越一番街は、首都圏では数少ない歴史的町並みとして早くから着目されていた(今日では関東にも多くの町並みが「発掘」され、重伝建地区にもなっている)。1975年の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)の制度発足と同時に伝統的建造物群保存対策調査の対象に選ばれ、調査が実施されている。しかし、重伝建地区にすることについては、道幅を二倍にする都市計画があり、住民にも慎重な意見があって、市役所は及び腰であった。

1982年には、駅の方から押し寄せるマンションが一番街のすぐそばに迫り、「デザインコード策定調査」が行われたが、実行に移されることはなかった。ただ、この調査は、伝統的町並みでは、建物(店棟)が町並みをつくって通りを賑わいの場にすること、いっぽう背後では中庭が連続して住環境を守ることを見出した。町並み保存が単にノスタルジアではなく、現代の建築としてもすぐれていることを明らかにしたわけで、町並み保存に積極的な根拠と勇気を与えた。

川越まちづくり年表(報告書の表紙で構成)
押し寄せるマンション

 

 

■川越蔵の会

状況が大きく変わったのは1983年の「川越蔵の会」の発足。現在もNPOとして活躍する蔵の会は、地域住民、市役所若手、川越ファンが結集して、風薫る5月■日、養寿院境内で発足した。同会のスローガンのひとつは「商売がうまくいくことこそが町並みの持続的な保存につながる」。東京の学者などから「町並みを活かしたら商売がうまくいく」と言われ続けてきたことへのアンチテーゼである。一定の議論ののち、まちづくりは商業からアプローチすべきだと、当時商店街活性化のために用意されていたコミュニティマート構想モデル事業に取り組んだ。1986年のことである。古い町並みの保存を主題にした商店街活性化計画はほかにはなく、「まちづくり規範と町並み委員会」「町づくり会社」を町づくりの二本柱とする結論が導き出された。3ポイントアプローチで言えば、前者は「デザイン」、後者は「スキーム」である。

町づくりの二本柱

クリエイティブタウンに不可欠な柱のひとつ「町づくり会社」はこの時生まれた。その経過は次の通りだ:

「川越蔵の会」は、ほかにふたつのスローガンを掲げていた。ひとつは「住民主体のまちづくり」、もうひとつは「ナショナルトラストをつくる」である。そのころ日本中がナショナルトラストで沸き返っていた。「横暴な開発に所有権を持って対抗する」イメージは多くの人々の共感をよび、知床の100㎡運動、みどりのトラスト、妻籠宿保存財団などが生まれた。建物が失われていくたびに悔しい思いをしていた川越の人々もこの発想にとびついたのだ。しかし、川越の土地は高い。買い取り保存は非現実的と言わざるをえなかった。そんな話をしている時、住民のひとりがささやいた:「ナショナルトラストだとお金がいるが、不動産屋ならお金を使わずに同じことができる」。これが「町づくり会社」誕生の瞬間である。

■町づくり規範と町並み委員会

しかしながら、川越一番街には未だ町づくり会社ができていない。コミュニティマート構想モデル事業の結論を受けて動いたのは「まちづくり規範と町並み委員会」の方である。住民たちは「町づくり規範に関する協定」を結び、1987年■月に町並み委員会が発足させた。そして、67のパタン(町づくり・建築の原則)からなる町づくり規範を定め、これを規準に、町並みにおける建築行為等をマネジメントするシステムを始動させた。一ヶ月に一回、住民が建築計画等を持ち寄って議論する町並み委員会は、川越一番街のまちづくりの核となり、30周年を迎えようとしている。

写真 12:川越町づくり規範に関する協定

写真 13:川越一番街・町づくり規範

この間、地区内の空地にマンション計画が持ち上がり、市も重い腰をあげて伝統的建造物群保存地区に取り組み、1996年重要伝統的建造物群保存地区に選定された。このシステムにのると、市役所が町並みのマネジメントの責任をもつことになる。しかし町並み委員会もプロセスの中に位置付けられ、変わらず活動を継続している。

写真 14:要伝統的建造物群保存地区

川越一番街では1980年代の終わりあたりから観光客の数が急増した。近年ではナショナルチェーンの進出も著しい。歴史的な建物や町並みが不動産価値を高めることは素晴らしいことだが、老舗の影が薄くなりがちなことも確か。町づくり規範に関する協定には「いきで古風な川越商業の特質を受け継ぎ、発展させる。そこで商う品の質と趣味は厳しく選び抜き「川越感覚」を磨きあげる」とある。この方針を守り抜くためにも、未だ実現してない町づくり会社が積極的に「ライフスタイルのブランド化」に乗り出す必要性が日々高まっている。

増えるナショナルチェーン
■参考文献・資料

*福川裕一(2007)「川越一番街・町並み保存の課題」『土木学会誌』6月号,2007. 5. 25

*福川裕一(2003)「川越一番街・蔵づくりの町並みと町づくり規範」日本建築学会編『建築設計資料集成[地域・都市I – プロジェクト編]』丸善,2003. 9. 30,

*南勝震,福川裕一(1992)「川越一番街における町づくりと町並み委員会−住民による町並み委員会の可能性と限界」『都市計画別冊[都市計画論文集]』 no. 27,1992. 11

*福川裕一(1989)「歴史的環境の保存−川越の町づくり」『建築計画教科書』(建築計画教科書研究会)彰国社、1989.11

*川越一番街商業協同組合『町づくり規範』1988→アーカイブスまたは一番街・太陽堂書店で購入できます

*地区計画コンサルタンツ(1988)『 実践的「町づくり規範」の研究・川越の試み』NIRA研究叢書No. 880009

*川越一番街商業協同組合『川越一番害商店街活性化モデル事業報告書』1986. 3

*環境文化研究所・川越市『川越の町並みとデザインコード』1981. 3