定借再開発+まちづくり会社(高松丸亀町再開発初動期、1990年〜)
商店街の持続的な発展へ向け、今も不断の努力が続く高松丸亀町商店街。再開発の第一弾、A街区の竣工は2006年末だが、その始まりは1988年の開町400年祭にさかのぼる。500年祭も迎えられるようにするには「何を、どのように」すればよいのか、模索が始まった。
■500年祭を迎える!
1988年の開町400年祭、500年祭も迎えられるようにと、当時の鹿庭理事長が青年部をたきつけ、再開発の研究が始まった。当時は、本四架橋の完成が迫り、周辺の駅を核とした再開発事業が進行し、郊外では大型店の出店が相次ぎ、商店街では危機感をつのらせていた。
本四連絡線廃止後の高松港では、港頭地区開発プロジェクト(「サンポート高松」)が進行し、三越の移転が取りざたされていた。琴平電鉄のふたつの駅(瓦町、片原町)で開発事業が行われようとしており、特に琴電の各線が集まる瓦町の駅ビルには大型デパートの出店が計画されていた。郊外の区画整理も進んでいた(レインボウロード)。商店街の売り上げのピークは1992年の270億円とみられているが、通行量には停滞・減少の兆しが見られた。まさにそのような分水嶺的な時期に、将来の危機を予見し、アーケード、カラー舗装、駐車場などこれまでの「商店街近代化」では、周辺部での再開発や郊外のショッピングセンターに太刀打ちできない、次の500年祭を祝うことはできない、と考えたのだ。
■最初のレポート
青年会が中心となって再開発委員会を発足させた。当初は、いろいろな夢が描かれた。たとえば、地上に手をつけると面倒になるから地下を開発しよう、そこへ飛行場から鉄道を引き込んで高松の玄関口にしようという案もあった。このような活動を受けて1990年に、地元商店街のリーダーと専門家、学識経験者等による本格的な調査研究体制が組まれ、より現実的な案の検討が始まった。その最初のレポートは「高松丸亀町商店街再開発計画」(1991年7月)。コミュニティ・マートセンターにおける街づくり会社に関する調査研究の四年目の作業で展開された。今日の成果は、この時に描かれた商店街再生の戦略とスキームが基本になっている。最初の再開発計画は、行政の支援を受けず、商店街が費用を負担し自主的に作成した。早くから商店街近代化事業に取り組んだ丸亀町は、行政的には「近代化済み」であり、公的支援の対象にはならなかったのだ(1987年『高松地域商業近代化地域計画』)。
図 33:高松丸亀町商店街再開発計画(表紙)
同計画の、商店街の課題とそれに対する方針は次の2点に集約される:
①魅力的な都市空間を創り出し、業種の偏りを正す。そのために、商店街全体をひとつのショッピングセンターと見立て、全体のレイアウト等を考える。既存の商店街のアーケード・カラー舗装を超える快適な公共空間を形づくる。
②地価の高値安定によってもたらされる商店街の土地利用の不合理性などを解決するため、土地の所有と利用の分離を図る。そのための仕組みとして「街づくり会社」を活用する。
全長470メートルの商店街の整備の戦略は以下のように描かれた:
街路を挟んだ商店街という構造はそのまま踏襲する。むしろ街路をショッピングモールとして整備し、人の流れが集まるようにすることで、その構造を強化する。全長は470mに及ぶから、その全体を同じ方式で再開発することは、都市空間としても単調であるし、実際問題としても不可能である。そこで道路パタンや街区構成を考慮し、全体を7つの街区に分ける(北からA〜G街区まで)。
事業は、基本方針を決めた上で7つの街区のできるところから進めていく。街区ごとに地権者の合意を図り、合意のとれたところから事業に着手する。各街区における開発の形態は、全面的な建て替えから、少人数の共同・協調建て替えを組み併せるものまで、それぞれの街区にあわせて工夫する。特に歴史的・建築的に価値のある建物のある街区では一体的建て替えはふさわしくない。
しかし、大きな床面積を占める核的な店舗、駐車場、まとまった広場等を導入する必要もあり、一部の街区では一体的な再開発事業が望ましい。その候補は、北端のA街区と中央のD街区。つまり、A街区とD街区に関しては、各施設としての規模が必要であるから、基本的に街区全員の合意を得て再開発事業を行う。その他の街区に関しては必ずしも一斉に事業をやる必要はないので、数人の共同化による建て替え誘導を図っていく。
■見出されたスキーム
問題は、再開発を実現する手法である。再開発事業を成功させるためには保留床を買い取るキーテナントが不可欠である。各地の再開発がキーテナントを見つけることができず、あるいはその意向に振り回され困難を極めていた。1990年代はバブルの余韻で地価が高値でとどまっており(高松の地価のピークは1992年)、保留床は高額にならざるをえない。大都市のよほどの好立地でない限り処分は難しい。このような状況下、「定期借地権を活用して市街地再開発事業を行い、保留床を、まちづくり会社が高度化融資を活用して購入し、権利床をあわせて運営する」というスキームが導き出された。
■再開発において果たすべき課題
このスキームは、どのように導かれるのか。まず、再開発において果たすべき課題は、地権者の資産保全を除くと、次の三点である(もっとも、資産保全のためにも必要な課題である):
①できあがった施設と商店街が総合的にマネジメントできるようにする。再開発ビルとともに、商店街全体のマネジメントを可能にする体制と財政基盤を確立する。
②事業の安定性を高め、不足業種の導入等ために最大限の努力をはらう。家賃を適切にコントロールし、理想的なテナントミックスを実現する。
③商店街・地権者が主体的に事業を行う。商店街・権利者が主体となることによって、商店街の合意形成の難しさを克服し、合理的な事業スキームを組み立てる。
①は、地権者が権利床の利用の自由を主張することで陥りがちな雑居ビル化を避け、施設全体がすぐれたマネジメントのもとで、適切な売り場を構成、定期的な模様替えを行えるようにするというものである。②は、家賃を適切にコントロールし、理想的なテナントミックスを実現しようというものである。そのためには家賃に高地価が反映しないようにしなければならない。③は、商店街・権利者が主体となることによって、商店街の合意形成の難しさを克服し、合理的な事業スキームを組み立てようとするものである。
■土地処分方式の問題
現実的にも大きな問題である②は、再開発では一般的な土地処分方式では達成されない。この仕組みでは、床価格は単純に土地を買ってビルを建てた場合と同じになり、高地価の場合、床価格はきわめて高くなる。容積率を高くすれば価格がおさえられるが、それでは利用や処分が困難な過剰床をかかえるリスクが高まる。建物が大きくなれば環境や景観上周辺へ及ぼす影響も大きくなる。等価交換では、低地価でも過剰床の問題が避けられない。地価が低ければ床価格は小さくなるが、逆に一定面積の権利床を確保するためにより大きな保留床をつくって処分しなければならなくなるからである。地価が下がっている時は一般に景気が低迷しているから、この場合もやはり利用や処分が困難な過剰床をかかえることになる。
■土地所有者が自分の土地の上に建物を建てるという発想
事業への地価の影響を小さくするためには、土地所有者が自らの土地の上に建物を建て、自ら経営すればよい。保有税がかかるが、借金して土地を買うコストよりもはるかに低い。しかし、それを各自の所有地ごとにやるのでは今まで通り非効率な鉛筆ビルになってしまう。それを克服するためには複数の土地所有者が彼らの土地に共同でビルを建てればよい。こうして導かれる結論は、次のような共同建て替えの発想である:「自分たちはすでに土地を所有しているから土地を買う必要はない。ただし建物はそれぞれがペンシルビルを建てるのでなく共同で建てる。その建物の建設資金に公的な支援があれば、市民のための広場や、安い家賃が実現し、不足業種も導入できる。そうすれば必ず成功する」。この考え方は、土地を手放したくないという地権者の共通する気持ちにも沿うものであった。
■街づくり会社が建物を買って運営する
①の原則から、できあがったビルを総合的にマネジメントするため、地権者などが街づくり会社を設立して床を買い取り経営する。土地は、この会社が地権者から借地することになるが、地代を適切に設定できれば、土地に係わるコストは低く抑えられる。この会社には、先に掲げた街づくり会社の制度を活用する。すなわち、土地はそのままに(土地から土地へ権利変換し)、その上に再開発の補助金を得て共同ビルを建て、高度化資金の支援を受けられる街づくり会社が建物を所有し(保留床を買い取り)、権利床とあわせて施設を運営していく。新しい建物で営業を希望する地権者は家賃を支払うことになるが、地代に見合う面積は権利床のように使用することができる。
■定期借地制度活用へ
問題は、借地方式では、借地権の設定にあたって権利金が発生することである。権利金は通常地価の7割に及ぶので、これを実行すれば土地を購入したのと変わらない土地コストが事業に跳ね返ることになる。権利金を低くおさえたり授受しない契約も可能だが、その場合には「相当の地代」と呼ばれる高額の地代(地域によるが通常は基準地価の6%)を設定しないと、譲渡があったと見なされ課税の対象となる。借地方式も、高地価の下では、地価の影響を避けられないのであった。さまざまな模索を検討するうち、当時整備されつつあった定期借地権制度の活用が浮上した。この定期借地では、地代が自由に設定できる。さらにこの時の研究で、信託制度を使えばより本質的に問題が解決することが明らかとなった。住民が主体となる開発では、他者に土地利用を委ねる借地権方式より、考え方の上からもその結果としての具体的な仕組みからも、信託制度がよりふさわしいのである[i]。しかし先行事例がないこともあり、行政手続きなどがスムースに進むと考えられる借地方式が選択された。ただし、街づくり会社と地権者との契約には限りなく信託制度に近い考え方が取り込まれている。
■出来上がった手順
以上を、手順に従って整理すると次のようになる。:
①都市再開発法に則り、再開発組合が市街地再開発事業を行う。土地所有は変えない定期借地方式とする。なお、都市再開発法では、このような原則型によらない方式を110条特則型と呼ぶ。原則型では、地権者の2/3の合意で事業を進めることができるが、特則型では全員合意が義務づけられ「全員合意型」とも呼ばれる
*2016年の都市再開発法改正で、定期借地方式も2/3の合意で進められることになった。
②商店街・権利者などが出資して設立した街づくり会社が、再開発組合から保留床(定期借地権付き)を購入し、権利床を含め施設全体を運営・管理する。
③権利者は街づくり会社から地代・家賃を受け取る。
④出店する地権者はほかのテナントと同じ扱いになるが、支払う家賃と受け取る地代は相殺される(出店する面積にもよる)が、地権者は土地処分型の権利床に相当する床を家賃なしで使うことができる。なお、床の利用にあたっては街づくり会社のマネジメントに従う。
以上について、商店街振興組合常務理事・明石光生氏が、雑誌『新都市』に2003年1月に次のように書いている。これは、AG両街区の組合設立が認可された頃に書かれたものである。
思えば、商店街で重要なのは、新陳代謝です。何代も続いているお店も、時代に合わせて商売の工夫を重ねてきています。それができないのなら、もっとうまく商売をやる人に土地やお店を使ってもらわないといけない。今、日本の商店街で空き店舗が増えている理由のひとつは、そういうふうに土地やお店がうまく使われていかないからではないかと思います。商売に意欲がある人と、資産を守りたい人の利益がうまくあわなくて商店街の活性化が進まないということもあるのではないでしょうか。土地はやっぱり有効に使われてこそ、みんなのためになるし、ほんとうは権利者のためにもなる。だから、丸亀町でも、権利者の人たちには街づくり会社に資産を投資してもらうという考え方をとってもらっている。大型店の撤退が続いている今では、もう、みんなでやる事業以外にはほかに有利な投資先はないんです。といってもどれほどのリターンがあるかは重要です。そこで私たちの開発では、投資額=従前資産(土地+建物)、利回り=年額家賃収入の合計額として、3〜10%程度(平均6%程度)となるように、計画を組んでいます。不動産の時価評価を収益還元型で行う場合の不動産投資に関する還元利回りが4〜7%、不動産の証券化では3〜5%が普通といいますから、その位はリターンが得られるようにしたい。
実は、このようなリターンを決めるのもみんなでやりました。できるだけ地代が大きいのを望む権利者と、ランニングコストである地代の軽減を図りたい街づくり会社の事業採算のシミュレーションをみんなの参加するワークショップでやっています。こうすることで、とかくブラックボックスとなっている権利変換のプロセスを単純化してわかりやすくし、事業の透明性を高め、地権者間の不公平感を払拭しようとしてきました。
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商店街の危惧はほどなく実証された。通行量は大幅に減少をはじめ、売り上げが急速に落ち始めた。売り上げは、1992年の270億円をピークに、1996年に201.7億円、1999年に181.5億円、2002年には134.3億円と激減していく(商業統計調査)。空き店舗さえ生まれるようになった。原因は明らかだ。1990年代後半に、市街地のすぐ外に大型店が続々とオープンしたのだ。なかでも1998年のゆめタウン高松は4万平方メートルを超える西日本最大級の店舗である。2002年のデータでは、人口一人当たりの大規模小売店舗の売り場面積全国1位となった。逆に、大規模小売店舗売り場面積あたり年間販売額全国46位で、大型店のチキンレースが展開されている。このような中で、瓦町駅前の常盤通りでは、ダイエー高松店、ジャスコ高松店が相次いで閉店した(2004)。2つの大きな建物は今なお空き店舗で「日本一人通りの多い、日本一の空き店舗街」(藻谷浩介)として知られる。
これを単なる商店街の経営問題と捉えては本質を見誤る。丸亀町は歴史的にも空間的にも高松市街地のバックボーンであって市民にとっての重要なメインストリートである。ここが衰退することは、とりもなおさず高松市民が都市生活の核を失うことを意味する。再開発は、この意味で高松という都市の政策上大きな期待を担っているのである。
■参考文献・資料
*福川裕一・西郷真理子(2005)「徹底研究、高松丸亀町再開発:土地・主体・デザイン 」『中心市街地活性化とまちづくり会社(街づくり教科書第9巻)』日本建築学会編、丸善、2005.9
*株式会社まちづくりカンパニー・シープネットワーク(2000/3)『中心市街地における商業活性化のための、タウンマネージメント手法における機能と成立条件に関する調査研究・報告書』(平成10年度中小企業庁委託事業)
*福川裕一・西郷真理子(1995)「民間非営利組織(町づくり会社)による再開発;その必要性と成立条件」『日本建築学会論文報告集』No.467,1995.1
[i] 基本的にいえば「(信託は)あくまでも土地所有者による高度有効利用の一手法なのであり、他人に開発を委ねてしまう定期借地制度とは根本的な違いがある」(本間1999)。定期借地権制度では、地権者と借地権者の利害が対立する場合も配慮して制度が組み立てられているのに対し、信託制度では、受託者と受益者はいわばパートナーとして制度が組み立てられる。さらに、定期借地権制度は、契約終了時に、土地を更地として返却すること、そして契約の更新はしないことが原則である(再契約はありうる)。計算上の相違点は、信託制度の場合、受託者(町づくり会社)が建物と土地の保有税を負担するが、所得税は信託配当の中から受益者が支払うことになる。また信託配当については減価償却が経費として認められる。